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外務省条約課・国際法課と交わしたやりとりメモ~元徴用工の賠償請求について~

20181112

 今日の1420分頃、件名のことで外務省の代表番号に電話したところ、北東アジア課→条約課→国際法課、と3つ課の担当職員と延べ約30分間やりとりする結果になった。
 以下は、中身のやりとりをした2つの課の応対者との問答メモである。


 (醍醐) 外務省ですね。日本政府は(韓国最高裁が下した)元徴用工の賠償請求判決について「国際法に明確に違反している。毅然と対処する」と発言しています。政府が言う「国際法」とは何を指すのか、マスコミは伝えていないのでわかりません。それを教えてほしくて電話しました。

 (代表) お待ちください。

 (北東アジア課) 北東アジア課ですが。

 (醍醐) <先ほどの用件の繰り返し> 政府が言う「国際法とは何を指しているのですか?

 (北東アジア課)その件でしたら、私どもではなく、条約課ですので、そちらに回します。

条約課とのやりとり

 (条約課) 韓国の最高裁で判決が確定した時点で、(1965年の)日韓請求権協定に違反する状態になったので、政府としてそのような発言をしています。

 (醍醐)とすると、政府が言う「国際法」とは1965年の日韓協定を指しているということですか?

 (条約課) そうです。

 (醍醐) 「国際法」というと、多国間の法のことかと思ったのですが、そうではなくて、日韓2国間の協定のことなのですね?

 (条約課) そうです。

 (醍醐) その点は、外務省の理解は事実としては分かりました。
 他方、外務省は1990年頃、国会で、日韓協定で国の外交保護権は消滅したが、個人の賠償請求を消滅させたものではないと複数回、答弁しています。たとえば柳井(俊二)さんは伊東秀子議員、土井たか子議員の質問に対して、そのように答弁されています。
 そうした外務省の国会答弁と今回の政府発言は、どのような関係になるのですか?

 (条約課)その点はこの課ではなく、国際法課になりますので、回します。

 <国際法課に転送される>

国際法課とのやりとり

 (醍醐)<上と同じ質問>

 (国際法課) 日韓協定で完全かつ最終的に解決
済みということです。外交保護権と個人の請求権に関する解釈は、お話しのとおりですが、個人の請求権も含めて解決済みということです。

 (醍醐) しかし、外交保護権は消滅したとしても、今回の裁判は韓国の個人と日本の企業間の争いです。とすれば、個人の賠償請求権は消滅していないと言いながら、解決済みというのでは一貫しないと思いますが。

 (国際法課)個人は裁判所に訴えることはできても「出口」はなくなっているということです。

 (醍醐)「出口」? 出口がなくなっているようなら、請求権がないのも同然で、無理な解釈ではないですか?
 日本政府は韓国政府に対して善処をと言っていますが、韓国政府に対して、司法当局に働きかけを求めるような発言は韓国での三権分立を否定するに等しく、おかしな発言ですよ。

 (国際法課)おっしゃっている意味は分かりますが・・・

 (醍醐)河野外務大臣はずいぶん、強気の発言をされていますが、大丈夫なんですか? 専門の職員の方からご覧になって、どう思われますか?

 (国際法課)・・・・

 (醍醐)政府は賠償請求を受ける日本企業を集めて、説明会を開き、請求に応じるな、と言っていますが、それこそ、日本企業に対して、消滅したはずの外交保護権を使っていることになりませんか?

 (国際法課)それは外務省ではなく、政府がやっていることなので・・・・

 (醍醐)最後ですが、そちら様のお名前を教えていただけませんか? 私も名前を伝えますので。
 (国際法課)名前は伝えないことになっていますので。

 (醍醐)そうですか、ありがとうございました。

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強気に反して拠り所を欠いた日本政府の対韓逆切れの言動

 「国際法に反する」と日本政府が連日、声高に発言するので、何か具体的な「国際法」があるのかと確かめたら、1965年の日韓協定のことだった。それなら、あえて「国際法」と語らなくても済む話である。

 私の一番の関心事だった、日韓請求権協定で個人の賠償請求権まで消滅したわけではないというこれまでの外務省の国会答弁と、政府がいう「国際法違反」は、どうつながるのか、について、外務省の担当課の説明は結局、「日韓協定で完全かつ最終的に解決済み」という空回りの説明だけだった。
 これでは、日韓請求権協定で個人の賠償請求権まで消滅したわけではない、という外務省の見解と全くつじつまが合わない

政府の強気の発言に追随する日本のマスコミ

 日本のマスコミは、今回の韓国最高裁(大審院)の判決を受けて、連日、「韓国大統領府 沈黙 元徴用工判決 対応に苦慮」(『朝日新聞』2018114;「韓国政府 対応に苦慮」(『東京新聞』2018111日;「韓国最高裁の徴用工判決 条約の一方的な解釈変更」『『毎日新聞』20181031日、社説、などと韓国政府の状況を伝えている。

 これまでの韓国政府の対応を辿ると、そのような状況があることは間違いない。
 しかし、それなら、日本政府の自信満々の発言に確たる根拠があるのか・・・・この点を日本のマスコミはなぜ検証し、真相を伝えないのか?
 そもそも、今回の裁判は、韓国の個人と日本の企業の間で争われた事件であって、国と国の係争ではない。
 そのような基礎的事実を国家間の係争かのようにすり替えて、強気の発言を繰り返す自国政府の対応に引きずられるように、追随する日本のマスコミに「自立」した報道は見る影もない。
 こうした日本のマスコミの政権追随報道を正すのは、日本の市民の務めである。

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このブログを訪ねていただいた皆さまへ

20181110 

イッターに書きつけています
 更新が途切れ途切れのブログを訪ねていただき、恐縮です。
新しい記事を書くとなりますと、資料調べや文章書きに時間がかかり、思うに任せないあり様です。
 そこで、最近は、日々のニュースに感じたことなどを私設のツイッター(今年の3月から始めました)に気ままに書きつけています。
 https://twitter.com/shichoshacommu2 

 動物記、旅行記、ふとしたきっかけで見始めた「まんぷく」(NHKの朝ドラ)の視聴感想など、関心の赴くままの書き
込みですが、たまにお立ち寄りいただけましたら幸いです。

yasusan
さんとの往復コメント
 このプログの右サイドの中の「最近のコメント」欄にyasusanさんとの計7回の往復コメントを公開しています。「自衛権とは」、「戦争責任の履行の仕方とは」、が主なテーマです。
 いろいろな意見が予想されるテーマですが、ご覧いただき、感想をお送りいただけましたら幸いです。


     奥日光 戦場ヶ原 遊歩道(2018年10月9日、撮影)
Photo

    奥日光 竜頭の滝(2018年10月9日、撮影)

Photo_2


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「虚妄の自由貿易原理主義で農業を荒廃させてはならない」

2018112

 日本ほか11ヶ国が合意したTPP11がこの1230日に発効することになった。これを受けて、JAcom(農業協同組合新聞)が緊急に企画した「TPP11 1230日発効」に寄稿したところ、今日、同紙の〔電子版〕にアップされた。以下はその全文である。
 https://www.jacom.or.jp/nousei/tokusyu/2018/11/181102-36561.php 

 なお、
この緊急特集には、今の時点で、田代洋一さん(横浜国立大学名誉教授)、小林光浩さん(JA十和田おいらせ代表理事専務)の寄稿も掲載されている。
 https://www.jacom.or.jp/nousei/tokusyu/111230-1/ 

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  虚妄の自由貿易原理主義で農業を荒廃させてはならない

                          醍醐 聰

農業に相容れない自由貿易原理主義

 自由貿易主義を支えるのは、生産性で比較優位の財を輸出し、比較劣位の財を輸入することで、貿易当事国双方の利益を最大にするという国際分業論である。はたして、農業に対等な国際的分業は成り立つのか? 多国籍ならぬ無国籍企業が幅を利かせるTPPやEPSに国際分業は当てはまるのか?
 人間の生命維持に関わる農産品の需要は工業製品のように価格弾力性が高くはない一方、農産品の供給は収穫が自然環境に左右されて変動する。そのため、世界的規模での農産品の価格は、わずかな供給量の変動でも大きく変動し、供給過剰の時は価格が暴落して生産者は打撃を蒙る一方、供給不足の時は、生産国は自国の需要充足を優先し、余剰品は購買力の大きな先進国が買い占めるため、購買力の乏しい国々では飢餓が絶えない。
 生産不足の時の輸出制限、生産過剰の時の輸出補助金によるダンピング輸出の奨励、相手国の需給バランスを無視した余剰米の押し売り輸出(ミニマムアクセス米など)などは、農業に国際分業が成り立ちにくい事情を物語っている。

 かつてクリントン米大統領が国際世界食料デー(20081016日)で「食料は他の商品と同じではない。われわれは食料自給率を最大限高める政策に戻らなくてはならない。世界の国々が食料自給率を高めることなく、開発を続けることができると考えることは馬鹿げている」と演説したのも至極、正論だった。
 そもそも食料自給率38%(穀物自給率28%)の日本と穀物自給率が押しなべて100%を超えている米国、カナダ、EU先進国が同じ土俵で自由貿易を議論する(できると考える)こと自体、ナンセンスなのである。いわんや、穀物自給率28%の日本の政府が自由貿易を牽引するなどと得意げに語ること自体が滑稽なのである。自国ファーストのトランプ米大統領から「いうことを聞かなかったら自動車にものすごい関税をかけるぞと脅かすと、直ぐに〔二国間〕交渉をすると言ってきた」と見くびられた安倍政権が自由貿易主義を牽引すると語るのは笑止の沙汰である。

 

◆TPPを上回る譲歩

 結局、この先の日米二国間交渉は、自動車をカードに使って、日本にTPPを上回る農業市場の開放を迫るトランプ流の大国主義的「ディール」に安倍政権が、巨額の兵器購入も含め、屈する売国交渉となることが避けられそうにない。農業に関しては、全容が定かでない、TPPに備えた国内対策を織り込んで試算された影響額はあてにならない。また、目下、政府が検討している外国人労働者向けの在留資格の緩和措置に対象業種に農業が含まれた場合、TPPそれ自体の影響かどうかは別にして農業に及ぼす影響が懸念される。

 そもそも、性格の異なる自動車と農業を「ディール」と称して天秤にかけること自体、不見識である。また、自動車も農業分野の交渉のカードで終わるわけではなく、来年1月からの交渉入りを待たず、早くも、米国内の雇用拡大を目指す米国政府に、輸入関税の大幅引き上げや現地生産の拡大を迫られている。
 政府は農業など物品の分野ではTPPの水準を守ったというが、国内向けのPRに過ぎない。合意文書では「尊重する」と謳われただけで、対米交渉でアメリカを拘束するものではない。TPPはひどい内容だと不満を募らせて政権発足早々にTPP合意から離脱したトランプ大統領がTPP合意を尊重する意思などあるはずがない。

 そもそも論を言えば、TPP水準ならいいなどと日本の農業・酪農関係者は誰一人考えていない。たとえば牛肉の関税を今の38.5%から16年後に9%まで下げるというTPP並みの水準は、これ自体、激変である。しかも、16年かけてというが、初年度に27.5%まで一気に引き下げるスケジュールになっている。また、合意停止のセーフガードも牛肉の場合は16年目以降4年間連続で発動されなければ廃止(豚肉は12年目で廃止)となっている。
 しかも、政府は米国のTPP復帰の見通しが消えた場合、セーフガードの発動基準数量などを見直すとしてきたが、今現在、いつ、どのように見直すのか不明である。経済成長といえば、GDPと企業の経営環境しか眼中にない安倍政権にとっては、それでよいのかもしれないが、基幹的食料の自給率の低迷は百年の災いとなって後代にのしかかる。

 昨年12月に合意された日・EUEPA(経済連携協定)について農水省は大臣談話(201776日の大筋合意の時点)で、長期の関税引き引き下げ期間と輸入急増に対するセーフガード等を確保したというが、ソフト系チーズ、スパゲティ、マカロニ、小麦、ワインではTPPよりも譲歩した内容となっている。たとえば、ワインのセーフガードはTPPでは8年目撤廃であるが、日・EUEPA合意では発効時に撤廃となっている。年間醸造量が100kl以下の小規模ワイナリーが80%を占めると言われる日本のワイン業への影響が懸念される。

 そもそも、新規就農/離農は経営の将来見通しをもとに判断されるのであるから、関税の段階的引き下げとかセーフガードの一定期間後の撤廃という猶予の意味は乏しい。
 こうした農業への甚大な影響を阻止、緩和するには日米二国間交渉の中止、日EUEPAの見直しが不可欠であるが、今の政府に日本農業を守るという意志がないなら、農業者は政権選択まで踏み込んだ意思表示と行動が必要になってくる。

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ルソーの直接民主政を考える

20181027

ルソーの直接民主政論

  よく知られているように、ジャン・ジャック・ルソーは『社会契約論』の中でこう書いている。
  「人々が自由なのは、議員を選ぶ間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、人々は奴隷となり、〔自由は〕無に帰してしまう。その自由な短い時間に、彼らが自由をどうやって使っているかを見れば、自由を失うのも当然である。」

 もともとルソーが言う主権者の一般意志は、人々が公共の広場に
会して形成されるものであり、政府に移譲されるものではなかった。
 この点で、ルソーの国家論(正確にいうと主権者論)は、ホッブスの国家論(人々は互いの、あるいは外国の侵入からの恐怖に備えるための「公共の剣」を求め、自己保存のために権利をすすんで放棄し、国家に移譲したとみる思想)とは隔絶している。こう考えたルソーは直接民主政論者として知られている。

 しかし、今日の民主主義は、議会を通じた間接民主主義と言われ、直接民主主義はそれを補完するものとみなされている。が、ルソーは逆で、直接民主政が基本で、それを補完するものとして間接民主政をとらえた。
 ルソーも間接民主政=代表制それ自体を否定したわけではない。しかし、現代の間接(議会)制民主主義者と比べ、主権者の意志を代表(国会)に委任することへの懐疑が根深くあったことは明らかだ。それは多数の意志(数の正当性)に対する徹底した不服従の思想といってもよいと思う。
 また、代表者(議員)は、ひとたび人々によって選ばれるや、主権者への奉仕者どころか、まるで自分が主権者かのようにふるまい、人々を見下す。

 

主権者と代表者の主従の逆転
 こう述べると、分かるとおり、主権者と代表者の主従の逆転現象は今の日本の政治の姿そのものである。
 人々が自由に選んだはず多数党議員と政府の要人は、不遇の人々を不摂生者と決めつけ、マイノリティを生産性がないと切り捨てる。
 確たる科学的根拠もなく、というより、世界標準から外れた被ばくによる健康リスクの基準値を政府が勝手に年間20ミリシーベルトと定め、それから外れたエリアからの避難者を「自主」避難者と呼び、まるで「保護の対象外」と言わんばかりの風潮を蔓延させた。そのため、避難者一般がそうだが、とりわけ、「自主」避難者は、福島出身を伏せ、補償金で裕福に暮らす人という曲解――避難者いじめ――に苦しんでいる。
 さらに、復興担当大臣は「ふるさとを捨てるのは簡単」と公言し、避難指示区域以外のエリアからの避難者は20173月末で災害救助法に基づく住宅提供を打ち切られた。

 しかし、こうした棄民政治は人々の政治意識を大きく変えるには至っていない。 いつ自分も、過酷な避難生活者、重い要介護者となるかもしれないが、そこはケ・セラ・セラで、今が良ければという多数意志によって、また、代わるべき政権への期待感の低さから、今の政権は消極的ながらも、支持され続けている。
 
https://www.youtube.com/watch?v=OvLzMU5RIjw
 (ケ・セラ・セラ 唄:ペギー葉山 1996年)

 こんな日本の政治・社会・国会の状況を見ていると、ルソーの直接民主政に共感せざるを得ない。政府にいなされるばかりの野党の背中を押すことが人々の主たる務めなのか? 「パレード」なんていうハイカラな言葉より、悪徳「お上」や「代官さま」に対する「一揆」と言った方が似合っているのではないか? 

代議制への体験論的不信
 ただし、断っておきたいのは、私が代議制に不信を拭えない理由は、身近な体験を通して、保革を超えたところで、見出しているという点である。

 自分自身が主催団体の一員になった集会でたびたび、経験したのは、国会議員のわがままな、あるいは、自己中心的なふるまいである。
 各党(多くの場合、野党)の国会議員にあいさつを要請する。国会開会中などに議員会館で開催する集会などに、あわただしい日程をぬって出席してもらう場合はやむを得ないが、どのような場合かを問わず(地域の催しで同席した場合でも)、依頼されたスピーチの時刻の直前に会場に姿を現わし、スピーチが終わると、決まり文句のように、「次の予定が控えていますので」と一言して、そそくさと退席するのが通例である。
 予定より、早く、あるいは遅れて到着しても、待ち時間を惜しむかのように割り込んでスピーチをさせてほしいと頼み込まれることも珍しくない。

 事と次第とはいえ、市民が主催する催しに出席するなら、自分のスピーチの前後の他のスピーカー(市民も含め)の話しに耳を傾けるのも国会議員の務めの一部(本来は主たる任務)でないのか?
 参加者(主権者)を自分のスピ―チの聞き役としかとらえず、主権者の意志に伺いを立てる機会にしようという姿勢など、まるで感じられない。
 各党議員がさみだれ的に会場に現れ、その都度、予定を変更して、時には別のスピーチを中断して、議員のスピーチを割り込ませた結果、進行がぐちゃぐちゃになった経験も一度ならずあった。

 「代表者」=通称「選良」の言葉とふるまいの乖離、主権者に対する横柄な態度は、体験に根差す、私の代議制に対する不信の理由である。が、それは、個人的な体験を超えて、代議制に対するナイーブな信任を許さない、代議制に宿る根源的な弱点の端緒を意味するのではないか?

直接民主政のささやかな実践
 ただ、そうはいっても、直接民主政は、原理を離れて、一歩、制度設計の話しになると、技術的な実行不可能の壁―――散在する民意を選挙に依らず、どのように集約するのか―――にぶつかる。
 しかし、考えてみれば、たとえば、地方自治体にはリコール制や監査請求制度があるのに、国政にはなぜないのか?
 「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」(日本国憲法、第151項)と謳っていながら、大臣、国会議員、一定以上の職階の公務員に対する罷免請求権制度がなぜないのか? それも立法裁量で済ませても、憲法151項の趣旨と違わないのか?
 国政の空白、混乱の回避と言った秩序優先主義でお開きにせず、有権者に直接民主政を体験する機会を設けることが、長い目でみて、日本の民意を向上させ、民主主義を根付かせる一助となるのではないか?

 他方、直接民主政をもっと身近に実践できる場がある。選挙がすべてではなく、その間に行われる世論調査や報道に市民の意志を反映させて、「悪代官」に民意の怖さを思い知らせることである。これが今の日本社会における、夢想ではない、その気になれば常に実行できる直接民主政の姿である。
 この点で有権者は、とりわけ選挙を意識した「市民と野党の共闘」を唱え、国会と一体化する前に、ルソーが言うところの、既存の党派を超えた有権者の「一般意志」を形成することが基本的な務めである。それが直接民主政の威力を発揮するために不可欠である。「仲間内」でいかに意気投合しても、それは一般意志の形成には、ほど遠い。
 人々が政府に怖れを抱かせるに足るパワフルな民意を形成できない時、人々は文字通り、愚かな政府の奴隷になるのである。

追記
 この稿で扱ったルソーの直接民主政の理解については、高村是懿『科学的社会主義の源泉としてのルソー』(2004年、一粒の麦社)が参考になった。

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麻生財務大臣の辞任を求める署名・財務省前行動の呼びかけスタート

2018108 

 
 安倍内閣改造で厚かましくも留任した、麻生財務大臣の辞任を    
   求める <署名運動>と<財務省前アピール行動+デモ> 

 私も呼びかけ人の1人になっている
「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」は明日9日から、こんな運動を始めることになった。

Photo
■署名運動■ 

 明日109日からスタート
・署名の呼びかけ文(署名用紙)は次のとおり。

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                                                                          2018
109
財務大臣 麻生太郎 様

   無責任きわまりない麻生太郎氏の財務大臣留任に抗議し、
            即刻辞任を求めます 

            森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会 

  池住義憲(元立教大学大学院特任教授)/笹井明子(老人党リアルグループ「護憲+」管理人)/佐々木江利子(児童文学作家)/杉浦ひとみ(弁護士)/武井由起子(弁護士)/醍醐聰(東京大学名誉教授)/根本仁(元NHKディレクター)/湯山哲守(元京都大学教員・NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ)/渡辺眞知子(キリスト者政治連盟) 

 102日に発足した第4次安倍改造内閣で麻生太郎氏が財務大臣に留任しました。しかし、第3次安倍内閣当時、財務省では、佐川宣寿氏が理財局長当時の国会での数々の虚偽答弁、公文書改ざんへの関与の責任をとって国税庁長官の辞任に追い込まれました。また、福田淳一氏は女性記者への破廉恥なセクハラ発言を告発され、事務次官の辞職に追い込まれました。いずれも麻生氏が任命権者の人事でした。

 しかし、麻生氏は厳しい世論の批判にも居直りを続け、事態を放置しました。それどころか、森友学園への国有地の破格の安値売却について、録音データなど動かぬ証拠を突きつけられても、なお、「処分は適正になされた」「私は報道より部下を信じる」と強弁し続けました。
 福田次官のセクハラ行為については、辞任が認められた後も「はめられたという意見もある」などと暴言を吐きました。
 なによりも、第3次安倍内閣当時、財務省では公文書の隠蔽、決裁文書の改ざんという前代未聞の悪質きわまりない国民への背信行為が発覚しましたが、それでも麻生氏は、会見の場で記者を見下す不真面目で下品下劣としか言いようがない答弁を繰り返しました。

 こうした経歴の麻生氏が私たちの税金を預かり、税金の使い道を采配する財務省のトップに居座ることに、私たちと大多数の国民は、もはや我慢の限界を超えています。
 麻生氏を留任させた安倍首相の任命責任が問われるのはきわめて当然のことですが、任命権者の意向以前に私たちは、麻生氏自身が自らの意思で進退を判断されるべきだと考え、次のことを申し入れます。

               申し入れ
  麻生太郎氏は財務省をめぐる数々の背任、国民に対する背信
     の責任をとって直ちに財務大臣を辞任すること

           <以下、署名欄 省略>

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署名の第一次集約日 117日(水) 
署名用紙のダウンロードは → http://bit.ly/2ygbmHe
 用紙の郵送先:
  〒134-0083
  江戸川中葛西五郵便局局留 視聴者コミュニティ 渡邉 力宛

ネット署名は → http://bit.ly/2IFNx0A から。
メッセージもぜひ、添えて下さい。
寄せられたメッセージは、個人情報を伏せて、次のサイトで公開しています。
 →  http://bit.ly/2Rpf6Pm

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■財務省前アピール行動+デモ■ 

11
11日(日) 
 
13時~1330分 財務省前アピール行動 
  (直接、財務省正門付近にお集まりください)
 1330分~14時 日比谷公園西幸門へ移動 
 14時 デモ出発(コースは警視庁と折衝中) 

チラシのダウンロードは  
 → http://sinkan.cocolog-nifty.com/20181111/11.7demo.pdf 

*背任、背信の吹き溜まりの財務省トップとしての責任感覚ゼロの麻生大臣
*国民をなめ切った悪態を繰り返す麻生大臣

こんな下劣な悪代官に、庶民の財布に手を突っ込む消費税増税を采配されてはたまったものではない! 
 

辞任を求めるのが世論調査でも示された過半の民意、大義 
麻生氏を辞任に追い込むことは安倍政権を退陣させる決定打

皆さまの
絶大なご支援をお願いします。
この署名に関するお問い合わせは、
 E
メール:yurusazu-aso@yahoo.co.jp 
 電話:070-4326-219910時~20時)まで

諸々の資料のURLなどをまとめたサイトはこちら。
→ http://sinkan.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/1111-5336-1.html


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「帰るとこ、なくなっちゃった」少女がつぶやいた家族の終わり

2018108

 以下は、先週、私設のツイッターに書き込んだ記事からの抜粋・加筆。 

「『帰るとこ、なくなっちゃった』 少女がこぼした家族の終わり」
(『神戸新聞』2018216日)
 
https://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/201802/0010989958.shtml …  
 「少女は父と2人で暮らしていた。幼児のころ、ここにやってきた。経済的困窮による養育困難。父が愛梨を預けた理由だった。」
 「父は1~2カ月に1度、面会や行事で訪れた。愛梨はそのたび大はしゃぎした。」「大型連休の後、父はぱったり来なくなった。『お父さん、どうしてるかな』。愛梨は(仮名)毎日尋ねた。」
 「ある日、こども家庭センター(児童相談所)から連絡が入った。父は住居を移し、新しい家族を作っていた。」

 「家族の終わりを突然告げられる。何度も繰り返されてきた光景。」「事実を告げなければならない。愛梨が落ち着くのを待った。1年以上を要した。」
 「大人たちは見守った。戸惑いや心細さに耳を傾けた。愛梨の顔からちょっとだけ、とげとげしさが消えた。

 「『悲しいけど、区切りがついた。ここからが我々の仕事です』。大庭が言う。子どもたちが失った時間を積み直す。裏切らない大人がいると伝えたい。ここにいる間に気付いてほしい。」
 「副園長の鈴木まや(50)が強く願う。『人を信じていいんだ、と思える大人に育ってほしい』」

 記事を読み、惹き寄せられるとそれだけ、個人としての無力さがこみ上げる現実。お金で解決できる問題ではないと知りながらも、貧困の連鎖を放置する政治の欺瞞を思い知らされる。
 「安倍政治を許さない」と叫ぶ人たちも、こうした生身の現実に向き合い、居丈高でない、自分の言葉で語りかけるようになったら、もっと多くの人たちの心に響くのにと思う。

上級生の登校を下級生の部員がバス停でお迎え 
 名古屋に住んでいた時のこと。
 
 乗っていたバスがスポーツで有名な大学に近づくと、バス停のそばに学らんの大学生数人が直立して何やら待機しているのが見えた。1人の学ランの大学生が降りていくと一斉に大声でお迎えのあいさつ。上級生風の学生は素知らぬ顔で、肩で風を切るように通り過ぎた。

今朝(106日)の『朝日新聞』に載った元中学校教員の投書。
 「朝、廊下で私が1年生と話をしている横を3年生が通りかかる。すると1年生はくるりと上級生の方を向き、直立不動で『先輩!おはようございます!』と深々とお辞儀をする。上級生は素知らぬ顔で行ってしまう――。」
 「問題は、先輩風を吹かせ、有無を言わぬ従順さを強いる行き過ぎた上下関係だ」(「『先輩!』の背景に潜む不健全」)
 
 アメフトと女子体操の両宮川選手の物怖じしない告発。強いものに巻かれない勇気を尊ぶ社会に向かうきっかけになってほしい。


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芸術によって輝くのは私ではなく、あなたである~「半分、青い」余話~

2018103

 「半分、青い」のなかで、映画監督を夢見る主人公・鈴愛の元夫が、師事した先輩に脚本を横取りされる場面があった。これについて小説家の磯崎憲一郎さんは、この場面を見て視聴者が、映画や小説の世界は、「生き馬の目を抜くようなエゴむき出しの競争なのだろう」と想像されては困る、現実はその逆で、家族、友人などを大切にできる人間でなければ芸術家に成れない、と書いている。
  磯崎憲一郎「(文芸時評)芸術と日常 人生の実感、率直な言葉に」
 
 (『朝日新聞DIGITAL2018829日)
  https://digital.asahi.com/articles/DA3S13655101.html?iref=pc_ss_date

 しかし、これは文芸の世界を聖なるものと美化しすぎていると思える。真理を追究する学問の世界でさえ、盗作や実験テータの捏造が後を絶たない。磯崎さんも上の文章のすぐあとで、「次々に新たな展開を繰り出し、視聴者の興味を繋(つな)ぎ止めねばならないのがテレビドラマの宿命なのだとすれば」と書いているが、これが現実ではないか? 

 当の北川悦吏子さんも、自身のツイッター-に、「まだ私がデビューしたての頃、人をあっさり死なせてはいけなかった。何度も何度も、臨終の間際を引っ張って、数字を稼いだ。嫌だ、と思ったけど言えなかった。そして、今、鮮やかな形でそれを描くことを許される。25年やって来たご褒美だと思う。」と記している。

 25年の苦労の「ご褒美」として、人の死を「鮮やかに描ける」という物言いにはとてもついていけないが、視聴率を上げるために「人をあっさり死なせてはいけなかった。何度も何度も、臨終の間際を引っ張って」いかなければならなかったという言葉は、ドラマ制作現場の現実を正直に言い表したものではないかと思える。エゴむき出しではないかもしれないが、脚本の世界もそんなに高貴なものではないはずだ。

 しかし、私は磯崎さんの「半分、青い」に関する次の指摘には大いに共感した。

 「これから芸術に携わる仕事に就きたいと考えている若い人たちのために、これだけはいって置かなければならない。芸術は自己実現ではない、芸術によって実現し、輝くのはあなたではなく、世界、外界の側なのだ。

 「次回は神回」と自身で、思わせぶりな予告をしたり、自分への応援メッセージだけを読みたいからとツイッターのフォローアーに、「北川さんこれは大丈夫というものに、#北川プラス とつけてください。そしたら、必ず読みます」と注文を付け、批判的感想に耳をふさいだりする北川悦吏子女史。
 加えて、「はっはっはっ。さすがに、アンチが、北川プラス!とは、打てないだろう^ ^!と踏み絵の意味もあります。」とおまけをつけて悦にいる北川女史。

 こういう自己愛過多の脚本家には、「芸術は自己実現ではない、芸術によって実現し、輝くのはあなたではなく、世界、外界の側なのだ」という言葉は大いに有益だと思う。たとえ北川女史に通じなくても、芸術を志す若い人の反面教師にはなると思うので。



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「半分、青い」 をめぐるネット上の反響と私のリツイート

2018930日 

 終盤からだが、珍しく、NHKの朝ドラ(「半分、青い」)に関心を持った。以下は、三周遅れで、この春、始めたツイッターで見つけ、惹き寄せられた「半分、青い」に関する感想とそれに対する私のリツイートである。

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蜜柑
 929日)

「最後に患者に寄り添い死を選んだユーコ 果たして患者はそれを望んでいたでしょうか? いくら寝たきりでも感情はあります 最後まで諦めず生きたかったのでは? そして死ぬ必要のない人が自分のせいで死を選ぶのを間近で見るのはかなり辛いものだと思いました #半分白目   

 RT. 醍醐 聰929日)

 https://twitter.com/shichoshacommu2/status/1046273636011667457
 
(津波に襲われた病院の看護士でした)「『私だったら患者を残して逃げるような看護師には担当して欲しくない』との意見を読みました。私達はまさにその事で悩み、悔やみ、話し合ってきました。でも、何が正解なのか本当に分からないのです。」
 
「救えなかった患者、逃げ遅れた仲間。思い返せば今も胸が痛みます。でも、私達にも生きると言う選択が有ってもゆるされるはずです。救いきれずに生き残った私をゆるしてください。」
 → 確かなこと:スマホに遺言を入れる時間があるなら、生き延
   びて1人でも命を救うということ。美談は無用 
 
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月乃瀬涼子@だらけモード928

 「
今日のヤフーのコメ欄に、津波に襲われた病院の看護師さんという、まさにユウコの立場そのものの方の怒りの投書があった。救えた患者と救えなかった患者。生き残った私達は後悔と罪悪感に苛まれていると。この方の悲痛な叫びを、北川悦吏子氏はどう受け取るのか。試されているのは誰。#半分白目

なお、「半分、青い」に関する「ヤフーのコメ欄」とは、こちら。
 投稿順:https://tv.yahoo.co.jp/review/436384/?o=1
 共感票数順:https://tv.yahoo.co.jp/review/436384/?o=3 

 上記のツイートで紹介されたコメントの全文は以下。930日、1913分現在でコメント総数は39,477.以下のコメントへの共感投票数は518でトップ。(醍醐注)

津波に襲われた病院の看護師でした928日)
https://tv.yahoo.co.jp/review/detail/436384/?rid=15381038498431.c285.19012&o=3&s=1
 「救えた患者と救えなかった患者。生き残った私達は後悔と罪悪感に苛まれています。逃げ遅れた仲間の家族が『仕事を放棄してでも死なないで欲しかった』と号泣する姿にも頭を下げました。ただ言えるのは、誰も本当には津波の恐さをしらなかった。逃げ遅れた仲間だって、まさか自分が死ぬなんて思いもせず、ただ夢中で職務に徹していただけ。あっという間=生死の境は紙一重だったのです。そしてあの遺言=あんな録音出来る訳ない!そんな余裕があったなら、あれはもう自殺です!あれが看護師の職務だと美化したいのか!患者をあきらめて逃げた看護師は極悪人と言いたいのか!怒りしかありません!!」 

 RT. 醍醐 聰
929日)
 https://twitter.com/shichoshacommu2/status/1045973610190401542 
 ①「同じ医療従事者の方の追加のコメント(抜粋)
  https://twitter.com/shichoshacommu2/status/1045973610190401542 
 「K川女子の過去のツイートにも「『死を鮮やかに描けるのは25年続けたご褒美だ』と視聴率至上主義的な側面を感じるため、全く震災を利用しただけの姿勢だと私を含め多くの方が反感を抱いたのです」
  →「死を鮮やかに描けるご褒美」? 自己中が半端でない
 
 ②
こんなコメントも
  https://twitter.com/shichoshacommu2/status/1045973611578720257
   「『午後のにわか雨みたいに不意打ちのイジメに会いました』
 
・・・イジメを表現するのにおしゃれな言い回しはいりません。現実はそんな軽やかな物ではありません。」「脚本家さんは『どお?この言い回し素敵でしょ?』とか思って悦に入っているのでしょうが、辟易とします」

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北川悦吏子
認証済みアカウント(824日)
https://twitter.com/halu1224/status/1032971366071328769
 
 「まだ私がデビューしたての頃、人をあっさり死なせてはいけなかった。何度も何度も、臨終の間際を引っ張って、数字を稼いだ。嫌だ、と思ったけど言えなかった。そして、今、鮮やかな形でそれを描くことを許される。25年やって来たご褒美だと思う。#半分青い 

 RT. 醍醐 聰
 2018930日)
 https://twitter.com/shichoshacommu2/status/1046321826979176449
 
「人の死を鮮やかに描く」って、どういうこと  
 人の死も、自分の才能を顕示する見せ場?
 これが、視聴率稼ぎのための25年間の苦労の「ご褒美」とは、卑
 しい成金根性!」

   わが家の庭の金木犀 

P9300857




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自動車の盾として農業を売り渡す屈辱交渉は許されない

2018928

 今日、「農業協同組合新聞」に、「自動車の盾として農業を売り渡す屈辱交渉は許されない」というタイトルの小論を寄稿した。さっそく、同紙の「電子版」に掲載されたので、その全文をこのブログに転載することにする。
 https://www.jacom.or.jp/nousei/tokusyu/2018/09/180928-36239.php 
 
 
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自動車の盾として農業を売り渡す屈辱交渉は許されない  

                          
醍醐 聰 

 日本政府は、今回の日米関税交渉合意は「TAG」(投資・サービスなどを含まない物品の関税交渉)だと強調し、「これまで日本が結んできた包括的なFTAとは全く異なる」(安倍首相)と語っているが、幾重にも言葉遊びの欺瞞である。
 ①合意文書には、物品の関税交渉が決着したら、物品外の交渉に入ると明記されている。投資やサービスは交渉から「除外」ではなく、交渉入りをずらしたに過ぎない。だから、今回、日米首脳が合意した交渉入りは紛れもなく「FTA」(日米二国間協議)であり、この種の交渉は拒むと言ってきた政府の公約違反である。
 ②しかも、当面は物品に限ったから心配ない、などとどうして言えるのか。「交渉中は自動車の関税問題は棚上げする」という確約を得た? 交渉という以上、当り前で、日本の成果でも何でもない。

しかし、実際は当たり前にすらならない恐れがある。トランプ大統領は、農業分野の関税引き下げ等について言うことを聞かなかったら交渉中でも報復関税を課すと公衆の面前で安倍首相に脅しをかけたからだ。メンツをつぶされた格好の安倍首相は、へらへら苦笑いしただけだった。どこの国の首相なのか?
 結局、今回の日米関税交渉合意は、自動車をカードに使って、日本に農業市場のさらなる開放を迫るトランプ流の「ディール」に安倍政権が早々とも屈した売国交渉以外の何物でもない。また、自動車も農業分野の交渉のカードで終わるわけではなく、米国内の雇用拡大を理油に輸入関税の大幅引き上げや現地生産の拡大を迫られる公算が大である。

 これについて、政府は農業など物品の分野ではTPPの水準を守ったというが、国内向けのPRに過ぎない。合意文書では「尊重する」と謳われただけで、対米交渉でアメリカを拘束するものではない。なぜなら、アメリカ第一主義を掲げ、TPPはひどい内容だと不満を募らせて政権発足早々にTPP合意から離脱したトランプ大統領にとって、TPP合意を尊重する意思などあるはずがないからである。
 この意味で、この先の物品分野の日米交渉にとってTPPはスタートラインに過ぎず、関税、非関税のどちらの面でも、安保と拉致問題での「借り・貸し」を絡めながら、譲歩を迫るトランプ政権に日本が押し込まれる公算が大である。

 また、そもそも論を言うと、TPP水準ならいいなどと日本の農業・酪農関係者は誰一人考えていない。たとえば牛肉の関税を今の38.5%から16年後に9%まで下げるというTPP並みの水準は、これ自体、激変である。しかも、16年かけてというが、初年度に28.5%まで一気に引き下げるスケジュールになっている。また、合意停止のセーフガードも牛肉の場合は16年目以降4年間連続で発動されなければ廃止(豚肉は12年目で廃止)となっている。

 結局、この先の日米二国間経済交渉はどの面から見ても日本にとって得るものが乏しい反面、被害は多くの分野で、とりわけ農業の分野では、所得減、離職、後継者難が相まって、計り知れない。
 国会、世論には、アメリカへの屈辱的な朝貢交渉を止める独立国としての自尊心と勇断が求められている。


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「戦力不保持」こそ最善の自衛

2018921

専守防衛に代わる不戦の戦略

 では「専守防衛」に代わる不戦の砦はなにか? 結局、どの国からも武力攻撃の標的になるような武力を持たない「戦力不保持」が最善の自衛であるという考え方が、シンプルではあるが、もっともリアリティのある答えとなる。なぜなら、これもシンプルではあるが、戦力を持たないということは他国を攻める意思がないことを内外に事実で示すことであり、それによって「潜在的脅威の抑止」とか「防衛的先制」とかを大義名分にした武力攻撃を受ける可能性を排除できるからである。

 「他国の攻撃に丸腰でいいのか?」、「独立国として自分の領土を自分で守るのは当たり前」という意見が多いが、単純すぎてリアリティに欠ける。

 「丸腰はダメ」? では、どんな武器を腰にぶら下げたら足りるのか? 武器が武器を呼び、これで抑止力として足りるという天井がないのが実情である。
 いや、その前に「他国からの攻撃」というが、「他国」とはどこなのか? 北朝鮮? 射程を伸ばしたミサイル開発、核開発がその証拠? 

 しかし、冷めた目で見れば、北朝鮮のこうした行動は、いずれも外交カード、伝統的に言えば「瀬際外交」のカードであって、日本を含むどこかの国を攻撃する軍事的動機を持っていないどころが、そのような行動が自らにもたらすリアクションをわきまえないほど北朝鮮はおろかな国ではないはずだ。
 もちろん、「外交上のカード」とはいっても、「アメリカを火の海にする」と公言したり、日本上空を跳び越すミサイルを発射したりするのは挑発以外の何物でもなく、北朝鮮にとっても、軍事的リアクションでないせよ、経済制裁というリアクションを招いた。

 ただし、愚かな行為とはいえ、北朝鮮が日本を標的に挑発行為をした背景には、自衛隊が北朝鮮に対して軍事的圧力をかけるアメリカに追随して共同演習を行ったり、米艦隊の防護に出動したり、安倍政権が「対話のための対話は意味がない」などと唱えてアメリカの経済制裁に忠実に同調してきたりした経緯があったことは間違いない。

 であれば、日本が戦力不保持を明言し、自衛隊が米軍との共同演習を停止した場合、北朝鮮が日本に対して軍事的挑発行動をする動機はなくなる。また、日本が北朝鮮を仮想敵国と見立てて、先制攻撃能力はもとより、専守防衛能力の整備・増強に努めなければならない理由はなくなる。また、日本防衛のための「用心棒」として米軍に頼る理由もなくなる。

米朝対話の進展
 折から、南北朝鮮首脳の3回目の会談がピョンヤンで開催された。そこで採択されたピョンヤン宣言2018では、南北間の恒久的不戦宣言が盛り込まれた。また、アメリカの対応的行動(朝鮮戦争の終結)を条件として、北朝鮮が非核化を早期に完遂する意思も表明された。
 これを受けてポンペオ米国務長官は、南北朝鮮首脳のこうした合意を歓迎するとともに、米朝首脳の2度目の会談の実現に向けて担当者間で早急に協議する意向を表明した。

 このように米朝間の対話による和平実現に向けた動きが加速しつつある背景には文在寅(ムン・ジェイン)韓国大統領の粘り強く、優れた仲介があったことは間違いない。それによって南北首脳間で信頼関係が醸成された意義は大きい。「信頼こそ外交の礎」の見本といえる。

(注)
「田中均氏『国内に威勢のいいこと言うのが外交じゃない』安倍首相の拉致対応に苦言(朝日新聞デジタル 20180704 0759分)
https://www.huffingtonpost.jp/2018/07/03/abe-diplomacy_a_23474167/ 

「非核化への米朝外交『信頼が欠如』 在韓米軍司令官、核能力を警戒」
(『東京新聞』2018723日、夕刊)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201807/CK2018072302000237.html

 この先、重要なのは、金正恩氏が非核化に関して言行一致を貫くこと、ポンペオ氏が米国内になお根強い北朝鮮への不信感を説得し、ぶれるトランプ大統領を補佐して、米朝間の「行動対行動」の和平を加速させる役割を果たすことだと思う。そのためにも、金正恩氏の非核化に向けた言行一致が強く求められる。
 (ただし、そもそも論を言うと、アメリカが、北朝鮮が保有する核兵器(10未満)と比較にならない(約4000)核兵器を保有する現実を棚に上げて北朝鮮の非核化ばかりを要求したり、核不拡散条約への署名を拒む日本がアメリカに同調して北朝鮮に非核化の履行を迫るのは、条理に反している。)

2017

Photo                (「報道ステーション」2018年8月9日より)

吉田茂ドクトリンへの回帰
 こうして朝鮮半島をめぐる軍事的緊張が解消するなら、日本のこれまでの防衛政策の通念も見直しを迫られる。なぜなら、武力で自衛しなければならない「仮想敵国」、武力で自衛の備えをしなければならない「脅威」の策源地が名実ともになくなるからである。
 そもそも論をいうと、日本国憲法が制定されてまもない194950年当時の国会では「自衛権」といっても、「武力による」自衛を意味しないという議論が主流だった。それは吉田茂首相(当時)の答弁に明快に示されている(以下、これを「吉田ドクトリン」という)。

 「私はこう考えております。日本は戰争を放棄し、軍備を放棄したのであるから、武力によらざる自衛権はある、外交その他の手段でもつて国家を自衛する、守るという権利はむろんあると思います。」
 
19491121日、衆議院外務委員会)

 「また、わが国の将来の安全保障につき内外多大の関心を生じていることは当然のことでありますが、我が憲法において厳正に宣言せられたる戦争軍備の放棄の趣意に徹して、平和を愛好する世界の論を背景といたしまして、あくまでも世界の平和と文明と繁栄とに貢献せんとする国民の決意それ自身が、わが安全保障の中段をなすものであります。(拍手)戦争放棄の趣意に徹することは、決して自衛権を放棄するということを意味するものではないのであります。(拍手)わが国家の政策が民主主義、平和主義に徹底し、終始この趣旨を厳守して行動せんとする国民の決意が、平和を愛好する民主主義国家の信頼を確保するにおきましては、この相互の信頼こそ、わが国を守る安全保障であるのであります。(拍手)この相互信頼が、民主国家相互の利益のため、わが国の安全確保の道を講ぜんとする国際協力を誘致するゆえんであるのであります。」(1950123日、衆議院本会議)

 3年前、集団的自衛権を容認する安保関連法が上程されたとき、多くの憲法学者がこれに反対の意思を表した。自からの学問的見識を社会に向けて表明したという意味では重要な出来事だった。
 しかし、そこでは、個別的自衛権との区別で集団的自衛権の違憲性がもっぱら語られ、個別的自衛権それ自体の合憲性なり、リアリティなりはほとんど語られなかった。

 私がこの記事で述べた「戦力不保持こそ最善の自衛」という考え方は、決して目新しいものではなく、67年前に当時の吉田茂首相が語った上記の考え方そのものなのである。

吉田ドクトリンは、その後の米ソ冷戦や核による抑止力競争の負の連鎖に伴って現実味があせたかに見え、「武力ではなく、信頼を礎とする対話」は政治の表舞台から遠のいた。

 しかし、韓国での政権交代によって登場した文在寅大統領の対北朝鮮対話路線、それに呼応した北朝鮮政権の軍事一辺倒の外交路線から対話併用路線への転換に伴い、「武力ではなく、信頼を礎とする対話」の流れが再び、現実味をおびてきた。

 こうした流れの中で日本の防衛政策はどうあるべきなのか?
 集団的自衛権の実績作りに躍起になっている安倍政権の動きを封じなければならないのは当然だが、それだけでなく、否、そのためにも、「専守防衛」の国是を抜本的に改める必要がある、というのが私の考えである。

 なぜなら、「専守防衛」も「武力による自衛」を容認し、前提にしている点では、吉田ドクトリンと相容れず、吉田ドクトリンの真価が発揮されるべき今の東アジア情勢と相容れないからである。そればかりか、専守防衛はその名に反して、「防衛的先制」を内包し、軍事的抑止力競争の負の連鎖を押しとどめることができないジレンマを抱えている。

憲法「改正」ではなく、自衛隊法の改正こそ急務
 「自衛隊は違憲というが、それなら災害救助に当たる自衛隊も違憲なのか」という議論がある。
 こうした意見は自衛隊違憲論者の本意にそぐわないが、しかし、今の自衛隊法をそのままにした自衛隊違憲論の不備を突く意見ではある。
 これに関する私の考えは要点だけ記すと、自衛隊の主要任務を定めた自衛隊法第3条の改正が必要だと言うことである。

 現行の自衛隊法は第3条で「自衛隊の任務」を次のように定めている。

第三条 自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。」(以下の各項、省略)

 では、自衛隊が災派遣等に当たる根拠規定はどこにあるのかというと、第83条で次のように定められている。

 災害派遣
 「第八十三条 都道府県知事その他政令で定める者は、天災地変その他の災害に際して、人命又は財産の保護のため必要があると認める場合には、部隊等の派遣を防衛大臣又はその指定する者に要請することができる。

2 防衛大臣又はその指定する者は、前項の要請があり、事態やむを得ないと認める場合には、部隊等を救援のため派遣することができる。ただし、天災地変その他の災害に際し、その事態に照らし特に緊急を要し、前項の要請を待ついとまがないと認められるときは、同項の要請を待たないで、部隊等を派遣することができる。」

 地震防災派遣
 「第八十三条の二 防衛大臣は、大規模地震対策特別措置法(昭和五十三年法律第七十三号)第十一条第一項に規定する地震災害警戒本部長から同法第十三条第二項の規定による要請があつた場合には、部隊等を支援のため派遣することができる。」

 原子力災害派遣 
 「第八十三条の三 防衛大臣は、原子力災害対策特別措置法(平成十一年法律第百五十六号)第十七条第一項に規定する原子力災害対策本部長から同法第二十条第四項の規定による要請があつた場合には、部隊等を支援のため派遣することができる。」

 もっとも、政府・防衛省は自衛隊の災害等への派遣を、自衛隊法第3条後段の「公共の秩序の維持」に含まれると説明してきた(2012314日、参議院予算委員会、田中直紀防衛大臣答弁)

 しかし、これは民主党政権時代の政府の条文解釈答弁であり、明文に定めがあるわけではなく、政府見解として定着したものかどうかも明らかでない。
 かりに、政府見解だとしても、災害派遣等は「必要に応じ」と定められた副次的任務とみなされている。

 前回とこの記事で述べてきたような昨今の日本を取り巻く安全保障環境が「厳しさを増す」のではなく、「和平の方向に進む」状況では、「武力不保持」=近隣諸国との「信頼を礎にした対話外交」に舵を切るなら、国土防衛はもはや自衛隊の主たる任務でも副次的任務でもなくなる。
 (ただし、たとえば、原発を標的にした小型の武器や化学兵器等を使ったテロの可能性などは残っているから、現在の自衛隊に蓄積されたこれらの武器使用の危険を防護する人員、技術、装備は保持する必要がある。)

 むしろ、近年、自衛隊に期待されるのは、相次ぐ大雨・水害・土砂災害、地震災害等による被災地救援のための活動である。
 であれば、自衛隊法第3条を改め、
自衛・他衛を問わず、「防衛」を主たる任務とした定めを削除し、代わって、災害等の被災地救助を主たる任務とするよう改正するのがふさわしい。
 また、こうした法改正とあいまって、「自衛隊」を「災害救助隊」(仮称)と改め、同じ目的で任務に当たる消防庁、警察庁などとの組織統合あるいは組織的連携(情報の共有、指揮監督系統の整備など)も検討されてしかるべきである。

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